とても久しぶりに、ここの日記を更新します。
ほぼ一年、更新していませんでした。もし時々見に来てくださっていた方、楽しみにしてくださってる方がいらっしゃったら、長いこと放置していてすみませんでした。
仕事関係の皆さま、長い間連絡が滞りまして申し訳ありませんでした。

一年間、何をしていかというと、出産して育児をしていました。
最後の更新は去年の12月半ば、新刊発売の際でしたね。この時、臨月に入ったところでした。
内視鏡で一回、開腹で一回と、過去に二度の子宮の手術をしているので、年が明けてお正月気分が落ち着いた頃に、予定帝王切開にて出産。
産休も育休もないフリーランスの身ゆえ、産後はできるだけ早く仕事復帰するつもりで、4月から認可外保育園の入園も決めていたので、その頃から様子を見ながらゆるゆる仕事を再開させるつもりでいました。

が、予想外のことが起きて、なかなか復帰がかないませんでした。
もちろん生命体一つ産み落として育てるのだから、育児書に書いてある通りになんていくわけない、予想外のことなんて沢山起こるに決まっている、なんてことは十分に踏まえていたつもりだったのですが。
それをも超える、曲がりなりにも小説家ですので、想像力を紡ぐことは得意なはずなのですが、それでもこれは想像の範囲外だったわ、という出来事でした。
「生きるということは、平和ではいられないということ」とは、人生の節目節目でいつも思い出すスナフキンの言葉ですが、本当にそう。
良い方にも悪い方にも、生きるということは、どうやら平和ではないようです。

産まれた子供は、生後9か月まで医療的ケア児でした。
産後3日で生命に関わる問題が起き、NICUに入院。治療により命に別状はなかったけれど、元の問題が解決する兆しがまったく見えず、生後1週間から医療的ケアを開始しました。
無知を恥じていますが、自分の子供がそうなるまで、「医療的ケア児」という言葉も知らなかったです。

「医療的ケア児」とは、生活において医療的介助を必要とする子ども、とのこと。
我が子は生後1か月でNICUを退院しましたが、その頃はまだ医療的ケアを卒業できる見込みはまったくなく、退院後は私と夫で自宅や保育園で医療的介助を行っていました。
医療従事者以外で介助をできるのは、家族のみ。(研修を受けた、など、特例もあるようです)
自身で認識している「私」という人間の特徴のかなり上位の方に、「不器用」と「怖がり」があるのですが、不器用で怖がりなので医療行為なんてできません、という状況ではありませんでした。
NICUの医師や看護師さんから繰り返し教わった手技を、9か月間毎日、その時になると全神経を集中させて、産まれたばかりの我が子に注ぎ込んでいました。
先天性の疾患や障害、大きな病気がたくさん疑われ、生後4か月頃までは、医療的ケアに加えて、検査を受けるために複数の病院に通い続ける日々でした。

あくまで現時点での結果ですが、病気や障害は見つからず。そして生後9か月のある日突然、医療的ケアから卒業できました。
一体なぜ我が子が医療的ケアが必要な状態になったのか、なぜ突然終われたのか、もうすぐ生後11か月になる現在も未だわかりません。
問題が起こってからこれまで、それぞれ専門科が異なる複数の医師の診察を受け続けてきましたが、どの医師にも共通して言われたこと。
「赤ちゃんには、わからないことが沢山あるんです」
赤ちゃんに限定せず、人間には、と言った方もいました。
こんなにも医療が発達した現代においても尚、と何だか腑に落ちない気持ちと、そうですよね、だって生き物なんだから、と妙に納得している気持ちと、今はない交ぜです。

この日記を書くにあたり、当初は我が子にどういう問題が起こったのか、どういったケアをしていたのかなど、詳しく書くつもりでいました。
私も夫もケア実施中は、同じく医療的ケア児の介助をしている方のブログや記事などに随分助けられましたし、後に続きたいという思いがあります。
名前を出して表現物を世に放つことを仕事にしている私だから、役に立てることもあるんじゃないかと思っています。
けれど、私はまだまだ医療的ケア児について、知識も理解も勉強も足りません。
そんな現在の状態で、著作物と違ってプロの編集も校正も入らないここで詳しく語ると、こういう仕事をしているからこそ、誰かを傷つけてしまうことがあるかもしれない。
そう思い直し、夫とよく話し合った末、現時点ではここには「医療的ケア児でした」とのみ書くことに決めました。

ですが、先に書いたように、私が経験を語ることで、今後同じく医療的ケア児を抱える人の役に立てることがあるかもしれない、役に立ちたいという思いが強くあります。
決して閲覧数の多いサイトではないですが、出版関係の方やメディア関係の方など。もしこの日記が目に留まって、興味を持ってくださったら、ぜひ取材の依頼をくださいませ。
然るべき場所で、私と夫の思いと違わない趣旨のものでしたら、積極的に今回の経験を語りたいと思っています。
この件に関しての、窓口はこちら。
chisalatte@dau.petit.cc
大変申し訳ありませんが、上記アドレスで通常の仕事、小説やコラムの依頼の受付は承れません。
そちらについてはお手数ですが、著作を出している出版社を通してご依頼くださいませ。

話は変わるようですが、『CATS』の東京公演が始まったので、早速観に行ってきました。
ここの日記でも何度も何度も何度も書いていますが、この作品は素晴らしいという思いが初見から20年以上経ってもまったく色あせない、私にとってこの世界で最良で最高のエンターテインメントです。
今回は、猫たちに我が子の姿を重ねて見てしまった。
四つ這いで部屋中を動き回り、物音がしたらびくっと身構え、動くもの光るものに夢中で向かっていく現在の我が子の姿は、CATSの猫たちそのものでした。
きっと我が子も満月の夜に集う猫たちのように、大いなる心を持って、誇り高く強く、何物をも怖れず、暗闇の中に生まれてきたのでしょう。

けれど、既に掴まり立ちに伝い歩きも始めた我が子は、もうすぐに尊い四つ足動物ではなくなって、二足歩行で人間として、俗世間に足を踏み入れるのだと思います。
ずっと猫のように尊いままでいて欲しかった気もしますが、人間の俗を書くことを生きる術としている私が、彼がこちらにやって来ることを、否定できるはずもありません。
こちらにやって来るからには、もうどっぷりと俗に浸かって、くだらないことで笑って泣いて、躓いて怯えて絶望して、でもその都度立ち上がって、ときどき世界の美しさに心を震わせたり、やさしさに包まれて涙したりして欲しい。
そして全力で、生まれてきたその孤独を生き抜いて欲しい。

生まれた子の性別は、男性でした。きっと夫に似て、静かに熱く、強い男になってくれると思う。
それなりの数の物語をこれまで生み出してきましたし、これからも生み出すつもりですが、絶対に自分の思い通りにならない物語を一つ生み出せたことを、誇りに思います。

予定よりもかなり遅れてしまいましたが、体調等見ながら仕事復帰していくつもりです。
ここの日記も、また気まぐれに更新していきたいと思います。

今後も、小説家、飛鳥井千砂に注目していただけたら嬉しいです。